|
|||||||||||
01.旧軽井沢 02.軽井沢 03.南軽井沢 04.中軽井沢 05.高峰・池ノ平 06.信濃追分 07.北軽井沢 08.浅間高原 09.バラギ高原 10.長野原町 11.鹿沢高原 12.万座・白根山 13.草津 14.六合村・野反湖方面 15.川原湯渓谷・他 16.中之条・四万温泉 17.倉渕・吾妻・榛名高原 18.松井田妙義方面 観光サイトマップ |
初詣北軽井沢ブルーベリーYGHの年中行事の一つ、三大宗教お参りツアーを今年も行いました。ここでいう三大宗教とは、仏教・神道・キリスト教です。オウム事件などのカルト宗教が世間を騒がせて以来、すっかり宗教のもつイメージが地に落ちてしまいましたが、ここ嬬恋村の歴史は宗教を抜きにしては語れません。というのも浅間大爆発で人口の8割を失うほどの被害をうけた鎌原村ですが、奇跡的に生き残った2割の人たちは全員、鎌原観音堂に非難して生き残っているからです。つまり、嬬恋村の人間にとって鎌原観音堂は、とくべつのものであり、観音堂の観音様ぬきに嬬恋村の文化と歴史はかたれないのです。と言うわけで最初に行ったところは鎌原観音堂です。 幕府(当時の政府)は、生き残った人たちに、新しい田畑を用意しましたが、村人は拒否しました。新しい田畑に魅力を感じなかったはずはないのですが、なにより観音様を捨てて、よその土地に行くことなんかできなかったと思います。妻を亡くした人と、夫を亡くした人が新しい家族をつくり、親を亡くした人と、子を亡くした人が新しい家族をつくり、土石に埋もれた荒れ地を少しづつ開墾し、百年かけて鎌原村は、奇跡の復興をとげたのです。これも観音様の御加護かもしれません。 ちなみにイタリアのポンペイは、人口の2割が全滅という被害で、住民は町を捨てました。しかし、鎌原の人たちは、8割全滅・生存者2割という絶望的な状況で、鎌原村を復興させています。観音様のお力はすごいものですね。 次に行ったのが吾妻神社でした。 吾妻神社。 こういう名前の神社は、関東地方の至る所にあります。何故かと言いますと、日本武尊の東征と大いに関係有るからです。日本武尊は、兵を率いて関東東北に向かいましたが、その途中で奥さんを失っているのですね。それを悲しんで「わが妻は・・・・」と歌ったわけですが、この言葉から「アガツマ」という地名や神社がたくさん生まれました。その一つが『吾妻神社』なのです。さて、この吾妻神社ですが、とても深い意味と云われが存在しています。四阿山や鳥井峠や吾妻渓谷にも関係してきます。興味有る方は、こちらをどうぞ。 吾妻神社は、鎌原観音堂と同様ににぎやかだったです。地元の人の信仰が、こんな世の中であっても保たれていました。これも日本武尊の奥様を思う気持ちが、末代まで伝わった結果だと思います。思えば日本武尊は、悲劇の武将でした。彼の物語は、涙無くしてかたれませんが、その物語については、別の機会にとっておきます。 さて、最後に向かったのは、軽井沢高原教会です。吾妻神社も鎌原観音堂も賑やかでしたが、軽井沢高原教会には誰もいなく、静寂と寂しさのみが漂っていました。これは、キリスト教と正月には、あまり関連性がないからなんでしょうね。なにせ正月というものは、昔の建国記念日にあたるからです。日本が生まれたのは、正月一日午前0時。昔からそういう言い伝えになっているからです。けれど旧約聖書には、世界が生まれたのが正月一日午前0時とは書いてありません。 |
||||||||||
古い情報もございますので、必ず最新情報を確認するようにしてください。 軽井沢観光|北軽井沢観光|北軽井沢散歩道|北軽井沢物語|軽井沢の紅葉|軽井沢グルメガイド|北軽井沢ユースホステル |