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堀辰雄文学記念館
さて、これが堀辰雄文学記念館ですが、実は、私も堀辰雄の本を一冊だけ読んでいるのですね。中学に入ったばかりの頃に何故か「風立ちぬ」という本を読んだんですね、というのも、当時、人気絶頂だった山口百恵・三浦友和で映画化されていたからなんですけれど、映画も、堀辰雄の原作の方にも、とても感動したものです。しかし、それっきりで、堀辰雄のことなんか30年間忘れてしまいました。 そして、30年後、北軽井沢で宿をはじめてみて、軽井沢に堀辰雄文学記念館があることを知り、「堀辰雄ってどんなやつだろう?」と訪れてみたら、30年前に見た映画の原作者ではないですか! いや〜、まいった、まいった。こういう事もあるのかと驚いたしだいです。ちなみに『風立ちぬ』ですが、当時、思春期だったこともあって、妙に感動したものですが、その訳が堀辰雄文学記念館に来てみてわかりました。それについて、ちょいと解説致します。 堀辰雄は、明治37年東京に生まれ、昭和初期に活躍した作家ですが、東大卒のエリートさんだったんですね。けれど、一高入学後肺を患って、軽井沢で療養しました。その途中に関東大震災で母を失うという悲劇も体験しています。 それから堀辰雄は、何度も軽井沢に療養に訪れるのですが、この時代で結核にかかるということは死を意味していました。そんな堀辰雄が、軽井沢の療養所で恋人と出会い、また恋人に死なれるのです。堀辰雄の代表作である『風立ちぬ』は、この軽井沢での経験というか、実体験をもとに書かれたものだそうで、軽井沢の療養所で婚約者を失った経験をもとに書かれているようです。どうりで、子供心にリアルな小説だと思いました。 そういう訳で、堀辰雄は、毎年のように軽井沢に訪れるようになり、軽井沢を舞台とした数々の作品を残しました。それらの作品群には、どの作品の中からも「婚約者を失った経験」がプンプンとにおっているのではないでしょうか?
ちなみに堀辰雄は、昭和19年から信濃追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年、49歳という若さで亡くなりました。 その地に堀辰雄文学記念館ができたわけですが、館内には、原稿・書簡・初版本・遺愛の品々が展示されています。また、晩年を過ごした住居や、愛蔵書が納められた書庫があります。それから閲覧室では堀辰雄の著書や関係資料を閲覧することができます。 それにしても、堀辰雄文学記念館で、堀辰雄にふれると、軽井沢の一面が理解されるというか、戦前の日本を理解するキーポイントになるかもしれませんね。つまり、戦前の日本で、もっとも恐れられていた病気である結核と、それを治すために療養所としての軽井沢の位置というものが、堀辰雄の文学によって、伝わってきますね。 軽井沢町大字追分662 0267−45−2050 |
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