軽井沢観光ガイド
グルメ 土産 スポーツ 体験 温泉 ハイク 登山 観光 穴場 牧場
嬬恋郷土資料館
嬬恋村創作実習館
プリンスランド
軽井沢おもちゃ王国
軽井沢白樺高原教会
嬬恋村観光協会
鎌原観音堂
六里ケ原道しるべ観音
浅間山熔岩樹型群落
石津馬頭観世音
三五郎滝
中居重兵衛の碑
とっくり穴
大笹街道
大笹関所跡
瀬戸滝
芭蕉の句碑と筆塚

01.旧軽井沢
02.軽井沢
03.南軽井沢
04.中軽井沢
05.高峰・池ノ平
06.信濃追分
07.北軽井沢
08.浅間高原
09.バラギ高原
10.長野原町
11.鹿沢高原
12.万座・白根山
13.草津
14.六合村・野反湖方面
15.川原湯渓谷・他
16.中之条・四万温泉
17.倉渕・吾妻・榛名高原
18.松井田妙義方面

鎌原観音堂

鎌原観音堂 1783年(天明3)、7月8日の午前10時ごろに始まった爆発は、北麓へ高速の土石流を流し、鎌原村をはじめ多くの集落を破壊し埋没させた。この鎌原火砕流によって、火口から13kmほどの鎌原村では93軒全部が流失したのをはじめ、挿生田村(43軒)、南牧村(24軒)、大前村(81軒)、西久保村(40軒)、羽根尾村(63軒)の流失があった。
 また、土石が吾妻川を埋めて鉄砲水となって流下し、下流域の村落にも被害が多くでて、日光例幣使街道の五料宿,柴宿辺でも人家の軒先まで泥に埋まった。被害は55ヵ村に及び、流死人1624人、流失家屋1151軒となった。
 この時の噴火による軽石は、高崎から伊勢崎、本庄方面にも及ん、軽井沢や碓氷峠では1.5メートル、本庄辺でも10センチ前後に達した。また成層圏に達して長く滞留した火山灰によって日射量が減じたために天明の冷害(天明の飢饉)の一因ともなった。

 鎌原村は、鎌原火砕流によって全て土石の下に埋まってしまい、447人の死者を出してしまったが、この観音堂に避難した93人は奇跡的に助かった。以来疫よけ観音として人々から篤く信仰されている。
観音堂は萱葺きの屋根で、なかなか歴史を感じる建物。すぐ隣にある家では、おじいさんおばあさんが4人くらいいて、何か作業をしているが、話を聞けばいろいろ教えてくれそうな感じ。15段の階段のすぐ左には、お土産屋さんが何軒かあり、観音堂のエピソードが簡単に書かれている。
古い情報もございますので、必ず最新情報を確認するようにしてください。

軽井沢周辺案内のトップページに戻るサイトマップ
軽井沢観光北軽井沢観光北軽井沢散歩道北軽井沢物語軽井沢グルメガイド北軽井沢のユースホステル