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無量院の五輪塔大笹集落の中程、県道大笹−北軽井沢線の起点を僅かに進んだ、無量院境内に対峙する老木の元に、形の整った五輪塔が存在します。地元の伝承では、「一乗院阿閻梨の墓」とされ、大正の初め頃塔婆を建てて600回忌の供養を行ったと聞きます。阿閻梨とは、天台・真言宗の僧位で高僧を意味します。一乗院とはここでは人名を指すのでしょう。無量院の古位牌によれば、この地には弘治年間(1555〜58)大法上人(一乗院)によって草庵が建てられ、天正18年(1590)真田伊豆守の祈願所となったとあります。また、岩上家文書によれば、慶長15年(1610)尊応が、ここに真言宗一乗院(長盛寺)を開山したとあります。この地には、山岳で修行を積み重ねて身につけた超人的な験力で、加持祈構などを行って民衆などを救済しようとする修験道とされる信仰がありました。修験道に励む行者を修験者とか行人とも言いました。行人の中には村人を災害や疫病などから救うために生きたまま土中に入り入定する者もありました。 事実、一乗院阿閻梨については、「悪い病気の流行った際に生きながら土中に入り、経を唱え鈴を7日7夜振り続け、遂に息絶えて仏となりました。この間、村人は葦の管で水を注いでいた」。との言い伝えもあります。 五輪塔とは、空・風・火・水・地の五大を宇宙の生成要素と説く、仏教思想に基づいて作られたものです。元来は堂の落成や、仏像の開眼供養のために造立てされたが、中世以降は先亡者の供養や墓石として立てられるようにもなったとも言います。 無量院の五輪塔は、誰によってどのような目的で造立てされたものでしょうか。多くの謎を秘めながら、「十二の森」とされる旧跡の一隅に立っています。 松島榮治先生の講義録より |
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