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小栗上野介の胸像勘定奉行、海軍奉行など徳川幕府の要職を歴任した小栗上野介忠順は、倒 幕の動きに対して主戦論を唱えていましたが受け入れられず、領地である権田村(旧倉渕村権田)に引き上げてきます。彼の類いまれな実力に危険を感じた明治政府軍は追討 令を発し、遂に捕らえられてしまいます。慶応4年(1868)閏4月6日、上野介は水沼 の地で家臣とともに斬首されてしまいました。享年42歳。その墓は東善寺にあります。〒370−3403 群馬県群馬郡倉渕村水沼 関越道高崎ICよりR406経由、倉渕村方面へ40分、 東小学校先左折、水沼橋のたもと 小栗上野介忠順徳川家の旗本小栗家(神田駿河台)に生まれ、1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢により日米修好通商条約批准の遣い米使節(目付・監察)として、米艦ポウハタン号で渡米、さらに二隻の船を乗り継いで地球一周して帰国。その後の八年間幕政をささえ、日本の近代化を押し進めました。横須賀に製鉄所を建設した功績は今も市民に讃えられています。慶応四年三月、幕府から帰農許可を得て領地である権田村に移住。東善寺を仮住まいとして観音山に住宅建設を進めます。65日後の同年閏四月六日、西軍(明治新政府軍)のため罪なくして水沼河原で家臣三名とともに斬首されます。翌七日、養子又一も高崎城内で家臣三名とともに斬首されます。 |
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