軽井沢観光ガイド
グルメ 土産 スポーツ 体験 温泉 ハイク 登山 観光 穴場 牧場
小栗上野介の胸像
国定忠治の墓
大戸関所
薬師温泉
仙人窟
榛名神社
榛名山
榛名湖畔の宿記念公園
竹久夢二のアトリエ
榛名町歴史民俗資料館
榛名湖温泉
石段の街 伊香保
水澤寺(水澤観音)
旧ハワイ公使別邸
伊香保おもちゃと人形・自動車博物館
徳冨蘆花記念文学館
伊香保露天風呂
町営石段の湯
01.旧軽井沢
02.軽井沢
03.南軽井沢
04.中軽井沢
05.高峰・池ノ平
06.信濃追分
07.北軽井沢
08.浅間高原
09.バラギ高原
10.長野原町
11.鹿沢高原
12.万座・白根山
13.草津
14.六合村・野反湖方面
15.川原湯渓谷・他
16.中之条・四万温泉
17.倉渕・吾妻・榛名高原
18.松井田妙義方面

竹久夢二のアトリエ

 榛名の地を愛した竹久夢二のアトリエを、現存する資料を基に復元したもの。木造2階建てで、榛名湖と榛名富士を一望する高台に立つ。1階はアトリエ、2階には和室と厨房がある。所要15分。

群馬県高崎市榛名湖町848

竹久夢二 伊香保記念館

 竹久夢二は、明治17年9月16日、岡山県の酒屋に生まれました。早稲田実業在学中、雑誌『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選し、初めて世に名をあらわしました。夢二はまた日本各地を旅行し、晩年には欧米も訪れました。しかし帰国後、肺結核となり昭和9年、51歳(数え年)でこの世を去っています。
  竹久夢二が、はじめて伊香保を知ったのは加藤ミドリさん(旧姓松沢)からのファンレターでした。大正8年に伊香保を訪れて以来、伊香保の気候、風土、人情が夢二の心を捉え、晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を立てていました。 絵画の他、デザインや本の装幀、詩や俳句など幅広く活躍しました。

 群馬県の中部、榛名山の中腹に位置する町、伊香保。万葉の時代、現在の榛名山一帯は伊香保嶺とよばれ、万葉集の東歌のうち上野国(群馬県)の部でもっとも多く歌に詠まれたのが伊香保でした。 夢二と伊香保との出会いは、少女からの一通の手紙で始まります。

 「夢二先生、先生は伊香保にいらっしゃったことがおありでしょう。私は、そのとき『先生は夢二先生でしょう』とお聞きしたかったのですが気が引けて言えませんでした。」

  夢二のもとへ伊香保の少女からの手紙が届いたのは明治44年のことでした。

 「愛らしいお手紙うれしくうれしく拝見しました。イカホとやらでお逢ひになったのは私でありません。それが私であったろうならと心惜しく思はれます。お逢いする日があったらその日を楽しみませう。さらば春の花の世をすごさせたまへ」

  夢二がはじめて伊香保を訪れたのはそれから8年後の大正8年のこと。当時あの『宵待草』が日本中で歌われ、夢二の名は不動のものとなっていました。

古い情報もございますので、必ず最新情報を確認するようにしてください。

軽井沢周辺案内のトップページに戻るサイトマップ
軽井沢観光北軽井沢観光北軽井沢散歩道北軽井沢物語軽井沢グルメガイド北軽井沢のユースホステル